「翼プラン」 法律家が実践した毒親と縁を切る方法
自分を信じて羽ばたくために 「翼プラン」は具体的かつ法的アクションです
毒親、それはあなたを虐げ、自信を奪い、可能性を閉ざすために立ちはだかり、あなたの人生を台無しにします。毒親の本当の望みはただ一つ、あなたを支配し、奴隷とすること。あなたは絶対に親より幸せになってはならないのです。
あなたの無邪気な子ども時代は失われ、健全な成長の過程はゆがめられてきました。あなたが必死に求めた愛情は与えられることはありませんでした。あなたは「ありのままの自分でいていい」という安心感を得ることはできませんでした。あなたの心の奥底にある〝内なる子ども〟はいまも怒りに震えています。
あなたの心の奥底にある〝内なる子ども〟はいまも怒りに震えています
しかし、あなたがどんなに怒りをぶつけようと、悲しみを訴えようと、その気持ちが報われることはないでしょう。毒親はあなたを責め立てるか、あなたに罪悪感を持たせるためにその時だけしおらしく振る舞うか、いずれにせよ、毒親が毒親である限り、毒親が自らを省みること、自らを毒親と認めることはありません。
もちろん、そんな毒親に対してでも、親から愛されたいと願う気持ちを捨てることは難しいものです。しかし、あなた自身、きっと心の奥底では分かっているはずです。毒親に温かい愛情などありません。あなたの気持ちなど端からどうでもいいのです。永遠の一方通行。あなたの愛情は、彼らにとってはあなたをこれからも利用し続けるために好都合なだけです。この辛い現実を受け入れてこそ、未来があります。
もうこれ以上、毒親に愛情も時間もお金も搾取されない。心を揺るがされない。その決断を、「翼プラン」によって〝形〟にしませんか。「翼プラン」は、あなたと毒親との間に心の境界線を引き、毒親の呪縛を断ち切ることで、あなたの内なる怒りや悲しみを昇華させるための、具体的かつ法的なアクションです。あなたの行動によって、未来は変わります。
幸せな人生の航路へ飛び立ちませんか
「翼プラン」は、実際に毒親の支配下で長年苦しんできた私が、行政書士としての知識や経験をもとに探求を重ねて生み出しました。毒親に苦しむ人たちが自分の人生を新たに切り開く、その第一歩になると自負しています。私自身、「翼プラン」を実践したことで、毒親を自ら断ち切るという勇気を持てたことに誇りを感じ、とてもすがすがしい気持ちになりました。何より毒親の呪縛によって捻じ曲げられる前の、もっと素直な気持ちで本来の自分を受け入れられるような、心の安らぎを得ることができました。
あなたも本来の自分を取り戻し、幸せな人生の航路へ飛び立ちませんか。
心の安らぎを得ることができました
「家族の問題」は誰も相手にしてくれない
裁判に訴え、一連の犯罪行為を警察に告発しました
「翼プラン」が誕生した理由は、私の生い立ちにあります。私は実に半世紀以上、毒親の支配下で人生を台無しにされてきました。私は両親からまっとうな愛情を受けることなく育ちました。幼少時から持病の喘息に苦しむ私は厄介者扱いで、自分が親から心配してもらえる価値すらない人間と思い込まされる一方、長男ということで我慢と責任だけは強いられてきました。成人後も、毒親は私を支配して操り、嘘と脅しで丸め込んで利用しました。私が起業し設立した会社に、父親は取締役として入り込み、多額の金を横領しました。挙句に全てを我が物にすべく、嘘の株主総会をでっち上げ、私を解任し、会社から追放しました。母親は一切見て見ぬふりです。私は裁判に訴え、一連の犯罪行為を警察に告発しました。しかし、最終的には親子であることがネックとなりました。警察では一応の捜査はなされたものの、うやむやのまま打ち切られ、結局何の役にも立ちませんでした。
明らかな犯罪行為があっても、「家族の問題」からはみんな手を引いてしまうのです。重篤な傷害や死に至る虐待事件でもない限り、「身内同士のトラブル」の一言で片付けられてしまいます。外部の力を頼って、毒親に鉄槌を下したいと願っても、極めて困難なのが現実です。そんな現実を突きつけられた私が、自らの主体的な行動により毒親との絶縁を図る方策として考え出したのが「翼プラン」です。「翼プラン」は二度と毒親に支配されないという、あなたの強い思いを法的に宣言するものです。
毒親に財産を奪われるという理不尽
現実に、社会では親子の絆というものが尊ばれています。その現れの一つに、相続があります。もし、あなたが独身であったり、あるいは配偶者がいても子どもがいなかったりすると、あなたが毒親より先になくなった場合、毒親にあなたの築いた財産を相続する法的な権利が発生してしまうのです。
あなたが遺言書の準備をしていない場合
まずあなたが遺言書の準備をしていない場合を考えてみます。もしあなたが独身ならば、親(直系尊属)は法定相続人としてあなたの全財産を相続します。
次に、あなたに配偶者がいて子どもがいない場合なら、法定相続人は残された配偶者とあなたの親(直系尊属)となり、配偶者が遺産の3分の2を相続し、残りの3分の1が親のものとなります。ここで相続財産が自宅不動産を含めて3,000万円あったと仮定すると、毒親の取り分は実に1,000万円。この1,000万円を現金で確保できなければ、配偶者は毒親の取り分のために、自宅を売却しなければならない可能性すらあるのです。ですから、あなたが独身か、子どものいないご夫婦である場合、最低限の準備として遺言書を作成しておく必要があります。
毒親のために自宅を売却しなければならない
遺言書があれば万全? 遺留分侵害請求権の存在が
しかし、遺言書を残しておけば、それで万全でしょうか。
あなたが独身の場合、遺言書で毒親以外の人らに全財産を遺贈することを希望したとしても、毒親が遺言書の内容に異議を唱え、法律に定められた権利(遺留分侵害額請求権)を行使すれば、なんと財産の2分の1が毒親の手に渡ることになります。
あなたに配偶者がいて子どもがいない場合、遺言書に「妻(または夫)に全財産を相続させる」という内容を記載しておいても、やはり遺留分侵害額請求が問題となります。
毒親はあなたの配偶者を窮地に追い込むこともできる
毒親が請求すれば、遺留分として、法定相続分である3分の1の半分、つまり相続財産の6分の1が毒親のものとなってしまうのです。もし、相続財産が3,000万円で、その内訳として2,500万円が自宅不動産、残りの500万円が預貯金等の現金だすると、3,000万円の6分の1、500万円は毒親に遺留分として権利があります。遺留分が請求された場合には、現金で渡す必要があるため、500万円の現金は丸々毒親に持っていかれ、その結果、配偶者には自宅だけが残され、現金はなくなり、当面の生活費にも困ることになりかねません。こうして毒親はあなたの配偶者を窮地に追い込むこともできるのです。
お子様がいらしても遺言書を
民法の法定相続では、配偶者は常に相続人となり、子がある場合には配偶者と子が相続人になります。ですから、遺言書がない場合でも、子どもがいれば、毒親が相続人や遺留分侵害額請求者になることはありません。
しかしながら、あまり考えたくないことですが、今後、お子様が先に亡くなってしまう可能性はゼロではありません。沖縄県保健医療部の糸数公保健衛生統括監は、20~69歳で亡くなった人のうち、親より早く他界した割合が2015年は54.8%となり、1985年の27.4%に比べて倍増したとの分析結果を公表しています。お子様が亡くなれば、代わりに毒親に法定相続分や遺留分が生ずることになります。備えるに超したことはありません。毒親育ちの方はだれでも、毒親への相続分をできるだけ少なくするために、遺言書を準備しておく必要があります。
遺言書を準備しておく必要があります
毒親には遺留分も渡したくない
以上のお話しをすると、親の遺留分がなくなる方法はないものかとのご相談をよくいただきます。長年自分を虐げてきた毒親に、最後の最後で財産を取られるなど、考えただけでもおぞましい話で、当然のご質問だと思います。
この点については、ネットなどで少々調べても、皆さまが満足できる解答は出てこないのではないでしょうか。恐らくは、「遺留分の解消方法はない」「法的に親子の縁を切ることはできない」といった内容の解説が多いかと思います。
もちろん、毒親自らがあなたの財産を相続しないとして「相続放棄」を申し出れば、遺留分を含め、毒親は一切の財産を相続することはありません。
しかしながら、あなたの支配を目論む、強欲な毒親が「相続放棄」をして、自分から進んで相続財産、もしくは遺留分を放棄するとは考え難いのが現実ではないでしょうか。
「翼プラン」は法律の力で毒親との絶縁を後押しします
私の場合、妻はおりますが、子どもはいません。毒親の性格を考えれば、私が先に死亡し、プラスの財産が残っていれば、毒親が相続放棄するとは到底考えられず、いくら遺言書を残してもどうしても毒親に遺留分が発生してしまいます。死んでまでも毒親に搾取されたくありません。私は必死に考え抜き、「翼プラン」にたどり着きました。
この「翼プラン」は毒親に対して法的に絶縁を宣言するものであり、親族関係を基盤とする法定相続及び遺留分侵害額請求にも強力な対抗措置となる法的手法です。「翼プラン」は公的な文書の行政への提出を伴う方策であり、民法と国の制度に則ったものです。なぜなら、民法第900条の法定相続分、同第1,042条の遺留分などに対抗しうる内容であるためには、法律に則ったプランである必要があるからです。法に対抗するには法しかありません。
「翼プラン」は民法と国の制度に則ったプランです
「翼プラン」の相続面での効用については、私の両親、私、私の妻の全員が存命なので、最終的な結果はでていませんが、私が先に死亡し、毒親たちが相続人になり得る状況でも、毒親が相続人として法定相続分を相続できないだけでなく、遺留分についても毒親が請求すれば必ず懐に入るといった保証はなくなり残された配偶者に全財産が相続される可能性が格段に高まりました。
「翼プラン」は「内容証明送付」「住民票閲覧制限」「分籍」ではありません
なお、毒親と法的に縁を切る方法として、「内容証明の送付」「住民票の閲覧制限」「分籍」「死後事務委任契約」「親の死亡時における相続放棄、遺留分放棄」あるいは「違法な犯罪行為として刑法の適用」などが一般的に想定されますが、「翼プラン」はこれらとは異なる法的手法です。
「翼プラン」で毒親の扶養義務を免れる
厚生労働省のお墨付きです
相続以外にも、親子関係から生じるものに「扶養義務」があります。毒親を扶養するなどまったく理不尽な話ですが、逃れられないとお考えの方もいらっしゃるのではないでしょうか。ところが、民法第877条の定める直系親族及び兄弟姉妹の扶養義務は事実上、死文化していると言われています。
私の場合、毒親の不法行為を訴えた際の弁護士から「将来的にも親の扶養義務を負わなくてよい」と言われました。つまりそもそも親の扶養義務は死文化している上に、さらに親からの虐待や非道な仕打ちを主張できれば、明確に親の扶養を拒否できるのです。しかしながら、現実には、まだまだ行政の現場では保護が必要な人(この場合は毒親)に対して「扶養義務者(この場合あなた)に扶養して貰いなさい」といった違法な説明や説得をすることが後を絶たないようです。実際、生活保護について、令和2年9月に厚生労働省は各自治体の生活保護担当課に「扶養義務者と相談してからでないと申請を受付けないなど、扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切であるので、改めてご留意願いたい」と示しています。
厚生労働省も不適切だとしている行政の違法なやり方を悪用して、毒親があなたに泣きついてくる可能性は十分にあります。その際、毒親の虐待行為等をあらかじめ明らかにしておくことが、あなたを「扶養義務」から守ることになります。「翼プラン」は虐待など非道な行為を行う毒親に対する、公的機関により認められた法的なアクションです。ですから、「翼プラン」は毒親の扶養義務をきっぱりと拒絶するための極めて強力な手立てとなります。しかも「翼プラン」に沿った〝毒親への絶縁宣言〟は法律に基づいた正当な行為であり、親不孝者のそしりを受ける筋合いはありません。あなたは自分自身を守っただけです。何の罪悪感を持つ必要もありません。
毒親はあなたから真の自立と幸福を奪う
虐待行為
重大な侮辱
著しい非行
「毒親」(toxic parents)とはアメリカの精神医学者であるスーザン・フォワード氏が提唱した概念です。明確な定義があるわけではありませんが、一般的に暴言、暴力、過干渉などで子どもを支配しようとしたり、反対に自分のことを優先して保護が必要な子どもを放置したりするなど、子どもにとって毒になるような悪影響を及ぼす親のことを指します。
「翼プラン」の対象となるのは、「暴力や耐え難い精神的な苦痛を与えるなどの虐待行為」「名誉や感情を害する重大な侮辱」「その他の著しい非行」を行う毒親に苦しめられた被害者の方々です。毒親に人生を台無しにされてきたあなたが自らその真実に気付き、決断し、毒親の呪縛を断ち切り、新しい人生へ踏み出すための、法的なアプローチです。
リーガル・カウンセリングであなたの内なる声に寄り添います
フェアウェイ行政書士事務所では国家資格者である行政書士・馬場琢三があなたのお悩みを直接お伺いした上で、毒親との絶縁を叶える「翼プラン」が採用する法的手法をご説明いたします。私どもは法律家として、専門知識と実務経験をよりどころに、具体的な法的措置を実行し、皆様に確かな安心感をお持ちいただけることをお約束いたします。法律家というと、敷居が高く感じられがちですが、行政書士は〝一番身近な街の法律家〟で、親しみやすく相談しやすい存在です。業務報酬も弁護士に比べ大変リーズナブルです。何より私自身が長年、毒親の呪縛に苦しめられてきた被害者の立場からも、あなたのお悩みに真摯に向き合い、寄り添えるものと自負しております。また、ご希望があれば、女性の行政書士補助者(神奈川県行政書士会登録、行政書士試験合格者)が同席、もしくはヒアリング等の対応をさせていただくこともできます。「翼プラン」は法定相続や遺留分といった金銭面や扶養義務の免除などで毒親への対抗措置となり得る以外にも、公的な書面をあなた自ら作成すること、つまり自発的な行動をあなたから起こして、毒親との絶縁を図ろうとすることに大きな意義があります。行政へ提出する書面の作成は私どもフェアウェイ行政書士事務所が全力でサポートいたしますが、あなた自身が毒親とのこれまでの関係を見つめ直し、それをご自身の言葉で語ることが不可欠となります。その過程で、自分がその時々で本当はどんな気持ちでいたのか、毒親からどんな影響を受けてきたのか、心の内の悲しみや怒りを冷静に客観視することができます。それは、あなたが毒親の支配下から解放され、自分を大切にしながら、本来の自分らしく生きる出発点となることでしょう。ご相談をご希望の方はフェアウェイ行政書士事務所にお電話ください。ご相談の中で詳しい状況を聴き取らせていただいたいた上で、「翼プラン」を含めた最善策をご提案いたします。なお、恐縮ですが、冷やかし等を避けるため、面談相談料として1万円を頂戴いたします。また、ご相談は基本的にフェアウェイ行政書士事務所(神奈川県横須賀市)での面談とさせていただきますが、やむを得ないご事情があれば、ご指定場所への訪問、オンラインでの対応も検討させていただきますので、ご遠慮なくお申し出ください。
行政書士・行政書士補助者には守秘義務があります
行政書士法第12条及び第19条の3は「業務上取り扱った事項について知り得た秘密を漏らしてはならな」と定めています。これは行政書士補助者についても同様です。ご相談ではあなたと毒親との関係などを詳しくお聞きしますが、法律により守秘義務を課せられた国家資格者が対応いたしますので、ご安心ください。
毒親リーガル・カウンセリング フェアウェイ行政書士事務所のご案内
事務所アクセス
所在地 | 〒239-0802 神奈川県横須賀市馬堀町1-3-11 石渡荘101号室 |
電 話 | 046-874-7328 080-1237-8911 |
F A X | 046-874-7398 |
メール | info@fairwaygyosho.com |
交 通 | 京浜急行本線 馬堀海岸駅 徒歩約7分 |
事務所まで横浜駅より約45分(電車+徒歩) |
行政書士氏名 | 馬場 琢三 (ばば たくぞう) |
行政書士事務所名 | フェアウェイ行政書士事務所 |
日本行政書士会連合会登録番号 | 第24090027号 |
神奈川県行政書士会会員番号 | 第6504号 |
学歴 | 聖光学院高等学校(横浜) 早稲田大学 商学部 |
職歴 | 以下各法人の設立・経営 中国専門商社 石材販売会社 在中合弁企業 宗教法人(仏教寺院) 霊園管理会社 横須賀市役所福祉こども部障害福祉課(障害者の自立支援、障害者の就労支援) |
行政書士補助者氏名 | 馬場 亮子 (ばば りょうこ) |
行政書士試験合格番号 | 令和4年度 第2879号 |
神奈川県行政書士会補助者登録番号 | 第24090027号の1 |
学歴 | 三輪田学園高等学校(東京) 早稲田大学 政治経済学部 経済学科 |
職歴 | 株式会社高知新聞社編集局 同政治部記者 同社会部記者 同清水支局支局長 |
「翼プラン」業務報酬額
相談料 | \10,000 |
「翼プラン」ライトサポート | \150,000 |
「翼プラン」フルサポート | \250,000 |
お振込先
金融機関名 | PayPay銀行 |
金融機関コード | 0033 |
店番号(支店コード) | 005 |
支店名 | ビジネス営業部 |
口座番号 | 7618925 |
預金種別 | 普通預金 |
カナ口座名義 | フェアウェイギョウセイショシジムショババタクゾウ |
漢字口座名義 | フェアウェイ行政書士事務所馬場琢三 |
ご依頼者の体験談
体験談 「翼プラン」で私は毒親の呪いから解放された
私の中の小さい子どもが歯をくいしばって涙をこらえている映像がくっきりと頭に浮かびました。私はその子を抱きしめました。「よく頑張ったね。でも、もうこれからは自分のために生きるんだよ」
私は関東地区に住む50代の会社員です。この年になるまで、私は毒親に苦しめられてきました。毒親によって自信を奪われた私は人目を気にして異常に緊張したり、人の顔色をうかがったりする癖が抜けず、いつも対人関係に苦労してきました。職場を転々とし、ブラック企業で言われるがまま過重労働をしてうつ病を発症したこともあります。私は物心つく頃には既に母親の愚痴の聞き役であり、あらゆる負の感情のはけ口でした。老親の面倒に日々追われ、不平不満を募らせていた母親は、幼い私の気持ちなど一切無関心でした。「かわいそうなお母さん」を支えるため、私は母親の「お母さん」役を引き受け、ある時は家族のトラブルの指南役となり、またある時は家族を和ませるピエロを演じてきました。わがままはとても言えませんでした。そして老親の介護疲れを口実に、母はろくな食事もつくらず、私は毎日即席麺ばかり食べていました。家庭内ではまとまなしつけもされず、それゆえ私があらゆることに無知で不器用なことをあざ笑い、「おまえはうすのろの出来損ないだ」と私の自信を打ち砕く呪いの言葉を吐き、自分の都合のいいように扱ってきました。
私の小学校入学時に、母親は黄色いランドセルを買いました。当時、男の子は皆、黒、女の子は赤の時代でした。母親はデパートでディスプレイ用の商品を目ざとく見つけたのです。しかも、そのランドセル、黄色といってもかわいらしいパステルカラーではなく、茶色がかった、くすんだ山吹色でした。全校生徒の中でたった一人、初登校の日、私の存在は一瞬で知れ渡りました。その日から6年間、いじめのターゲットです。「ウンコ、ウンコ」とからかわれ、ランドセルに向かって石を投げられました。
母は私が小学校2年生の時に父と離婚すると、たちまち、同居していた祖父母(母の両親)に隠れて、男に会いに夜な夜なこっそり家を抜け出すようになりました。当時、祖父母は母屋、私と母は離れの家で寝ていました。明け方に戻ってくる母は化粧が取れ、髪はぼうぼうでした。母は「絶対に黙っていなさい」と私にきつく言い聞かせていました。真夜中に一人ぼっちで置いていかれる、でも私は怖さよりも、いつ祖父母に母親の外出がばれないか、なんとしても母の秘密を守らなければならないとの使命感で、ひやひやして朝まで眠られませんでした。その後、母親は夜に通い続けた男とは別の、10歳以上も若い男と〝授かり再婚〟し、40歳近くで産んだ息子を盲目的に溺愛し甘やかせるだけ甘やかしました。祖父母はなくなり、私は家庭内のあぶれ者として過ごすことになりました。私は、毎晩酒を飲んで夜遅くに帰宅する義父とはろくに口も聞きませんでした。母親は自分が夫や息子から構ってもらえない時だけ、愚痴を言うために私に近づいてきました。私が高校生の時、若い夫の浮気を疑った母親に命じられ、会社帰りの義父の尾行をさせられたこともありました。
また、母親は私が反抗的だから「懲らしめてやれ」と義父をけしかけたこともありました。もともと私と折り合いが悪かった義父にとっては我が意を得たりだったのでしょう。義父は私の顔を拳で殴りつけ、倒れたところ、今度は顔をめがけて足で蹴り上げるといった、凄まじい暴力をふるいました。後に病院の診断で分かったことですが、数ミリずれてたら失明の大けがでした。それは私の大学入学式のわずか数日前。晴れの日を私は眼帯をして青あざで腫れあがった顔で迎えたのでした。ちなみに、私が大学に行けたのは、祖母が私の学費のためにお金を残しておいてくれたからです。毒親は私が結婚式を挙げた時すら一円も出していません。
毎日がさみしくてたまらなかった私にとって、実の父親の存在は日増しに大きくなっていきました。自慢の娘になってほめてもらいたい。そんな一途な思いで、頑張って大学に合格し、離婚から約10年後にして実父に会いに行きました。実父は開口一番「僕には新しい家庭がある。君はもう僕の子どもではないことを理解してほしい」と言い切り、新しい妻と小さい女の子が写った写真を見せました。私はショックを受け、次の瞬間、涙をぼろぼろ流しながら叫びました。「入学祝い金、3万円、よこせよ!金目当てに今日は来たんだ、だれがお前なんかに会いたいもんか」。それに対して、実父は「金は妻が管理している。妻に相談しないと、3万円はやれない」。私はその場を飛び出しました。以来、実父と音信不通です。
やがて私は「アダルトチルドレン」という言葉に出会い、母親が毒親であったこと、自分の生きづらさの根本原因が親であったことに気づきました。しかし、私を何より絶望の淵に叩き落としたのは、私がいくら母親に愛されなかった悲しみやこれまでの仕打ちを必死に訴えても、怒りを爆発させても、母親は私の気持ちなど全く顧みようとせず、むしろ自分自身を「いい親だ」と主張して譲らないのです。母は「私がどれだけあんたをかわいがってきたか、どうして分かってくれないのか。あんたはひねくれてしまった。昔はこんな子じゃなかったのに」と私を非難しておしまいです。
母は私が実家を離れ、社会人になった後は自分の愚痴話のために頻繁に電話をかけてきました。聞くだけで気分が滅入り心底うんざりするのですが、電話にでないと今度は罪悪感で私が押しつぶされてしまうのです。私が結婚してからは、電話だけではあきたらず、私を完全に支配して自分の都合のいいように利用すべく、私と夫を仲たがいさせようと、様々なトラブルを持ち込んできました。さすがの私も母親への猛烈な怒りと恨みで頭が一杯になりました。私が電話にでないようにすると、母は夫の職場まで押しかけてくる始末。私はまともな親の元に生まれなかった不運を嘆き、幼い頃からいいように利用されてきたことへの悔しさと絶望感に苛まれるとともに、外では相変わらず人間関係がうまくいかず、「私はやっぱりだめな人間なんだ」と自己嫌悪に苦しんでいました。
そんな時、縁あって「翼プラン」の存在を知りました。行政書士の馬場先生のお力添えで、私は母親、義父、実父らと絶縁するために、彼らの所業を書面にまとめ、公的機関に提出しました。馬場先生と話し合いながら、毒親たちのことを文章につづっていくうちに、なぜか燃え盛るような怒りは次第に消えていきました。そして書面が完成した時、「もう彼らとは永久に理解し合えることはないのだ。でもこれでいい」という諦めの気持ちとともに、「なんて愚かな、かわいそうな人たちなのだろう」と、不思議なことに彼らに憐みの感情が沸き上がってきたのです。初めての気持ちでした。同時に「こんなつらい環境を私は生き抜いてきたんだ、私はなんて強い人間なんだろう」と自信と勇気が湧いてきたのです。
私の中の小さい子どもが歯をくいしばって涙をこらえている映像がはっきりと頭に浮かびました。私はその子を抱きしめました。「よく頑張ったね。でも、もうこれからは自分のために生きるんだよ」と話しかけました。安らかな感動が胸の内に広がっていきました。
今では、母親からの電話を一切無視しています。心のどこかで感じていた申し訳なさも感じることはありません。折りを見て、手紙で私から絶縁したことことを告げるつもりです。彼らがどう反応しようと知りません。恐らく、もう一生、彼らと会うことはないでしょう。この決断を誇りに思っています。徐々にですが、新しい職場では、自分を大切にしながら、程よい距離感で周囲の人たちとも打ち解けるようになってきました。
「翼プラン」、そして一生懸命に私の話を聞いてくださった馬場先生、本当にありがとうございました。